欧米型の食生活でガンを発症
■1990年、西村さんは子供の頃からの憧れだったプロレスラーになるためアントニオ猪木の新日本プロレスに入門する。しかし、待っていたのは地獄のような日々だった。
西村 ランボーの映画のような激しい訓練があって、さらに二十四時間体制の雑用でストレスの連続です。ホッとできるのは布団に入ったときと、風呂とトイレのわずかな時間だけ。でも、厳しいトレーニング以上に辛かったのは毎日の食事です。当時レスラーは最低でも体重が110キロなければならないのに、私は75キロくらいしかなかった。だから身体をつくれということで、毎日ちゃんこ鍋と山盛りのどんぶり飯を何杯も食わされました。食事が美味しいなんて感じたことはなかったですね。そうやって何とか80キロ台になって翌年デビューするんですけれども、すぐに海外遠征に送り出されました。アメリカで肉を食って身体を大きくして来いというわけです。
渡米するなり毎日、最低でも4リットルの牛乳を飲み、1ポンド(約450グラム)のステーキを2枚は食べました。すぐに体重は95キロを超え、体力もついたと思ったんですが、何かおかしい。風邪をひきやすく、怪我も多いし、精神も不安定で毎日イライラしていました。
今から考えれば、この頃の食生活が最悪だったんですね。アメリカに2年滞在し、その後ヨーロッパを巡り、レスラーとして学んだことは多かったのですが、98年の帰国後にすぐ体調を崩して、微熱が続くようになります。
ある日、試合後に立てなくなり、病院に直行。検査を重ねて最終的に診断された病名が後腹膜腫瘍でした。これはリンパの付け根にできるガンで、大きさは一・五センチ程度。転移が早いガンのため、医者からは手術後すぐに放射線治療を始めるよう強く勧められたんですけれども、私は断固拒否しました。放射線は造血作用がある骨髄を破壊してしまう。そうなると体力が落ちて、プロレスラーとしての復帰が困難になるからです。私はプロレスをあきらめたくなかったんです。
食生活の改善でガンを克服
西村 とはいっても、手術後の抗がん剤や放射線による治療が当たり前の時代に、それを拒否することは死ぬ危険性もあった。もちろん医師からは反対されますし、私自身も迷いと不安で一杯でした。
そんな時に天恵というべきでしょうか、西洋医学と東洋医学それぞれに造詣の深い先生と出会うことができた。そして、その先生の紹介で、台湾に療養に行き、肉を使わない精進料理を食べて過ごし、何とはなしに体調が良くなるのを憶えました。
この体験が食による体質改善のきっかけとなり、徹底的に食生活を変えようと、台湾の次はイタリアのワイン農家にホームステイしました。オリーブオイルやトマトなど新鮮な地元野菜をたっぷり摂ると身体が癒されていくのを感じましたね。
99年にはインドへ渡り、そこでも粗食で過ごし、伝統医学のアーユルヴェーダという、身体から毒素を出すために薬草オイルを全身に塗りつける療法に出会います。4日位でものすごく体調が良くなるんです。
こうして体質改善のために世界を回っているうちに、どの地方にも共通する真理があると気付きました。それは「その土地の気候風土で取れる季節のものを食べなさい」ということです。暑いところでは身体を冷やす植物が育ち、寒いところでは身体を温める植物が採れます。その土地でできるものを食べることが最も体力をつけることである、と。
それに気付いた私は、やがて日本人には伝統食である玄米菜食が一番望ましいという結論に辿り着きました。玄米や麦、雑穀などの穀類を中心に、味噌汁、納豆、少量の漬物などを食べる。まったくの粗食ですが、一年実践すると筋肉の状態が良くなり、スタミナがついて疲れにくくなりました。精神も安定して我慢強くなった。食が心身にこれほどの影響を与えるなんて驚きでしたね。
■こうしていかなる化学療法も用いず、徹底した食の改善でガンを克服。2000年6月には、ついにマット復帰を果たす。
西村 復帰してからはプロレスの戦法が変わりました。病気前はいかに力強く攻めるかを考えていたのが、冷静に長く戦えるようになったんです。以前とは比較にならないほどスタミナがついたので、毎試合何分間戦っても疲れません。そこで、あえて時間を使い、相手のスタミナ切れを狙う。そうやってトーナメント戦でベスト四に入ったりしました。そんな私の食事といえば、他のレスラーから見れば驚きでしょう。なにせ皆が肉をガンガン食べて、プロテインを飲んでいるのに、私はおにぎりと味噌汁だけで体調を整え、互角に戦うわけですから。
当時、私のトレーニングの核心は、生活におけるすべてをあえて意識的に食と結び付けて考えるということでした。体力の根源や感情の起伏、自分の身の回りに起こることすべてを食のせいにするんです。ちょっとでも不安を感じたり、イライラしたら、そのとき何を食べたか考えてみる。たとえば車で事故を起こすのは直接的には判断力が鈍るからですが、原因は食にある、と考える。そんな風にどんなことでも食と自分が向き合うという訓練をしました。
しかし、当初はあえて意識的に自らをそう仕向けたことでしたが、これは次第に確信に変わって行きました。「食が身体を変える」という確信です。