西村修氏が食育重視の区政を報告 円楽師匠と亀井氏がエール

高橋清隆様ブログ「高橋清隆の文書館」から引用させていただきました。

プロレスラーで東京都文京区議の西村修氏が28日、同区内の護国寺で区政報告会を開いた。きちんとした食育が心身の健康をもたらすと指摘する西村氏に、来賓の三遊亭円楽師匠と亀井静香衆院議員がエールを送った。
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(左から)西村区議、亀井衆院議員、円楽師匠
     (2015.3.28高橋清隆様撮影)

 大のプロレスファンで西村氏と親交の深い円楽師匠は、「政治という難しい中で1つ心を通して、党を離れても自分が正しいと思った道を進むのは大変だが、これが一番」と亀井氏と西村氏を賞賛。2人の関係を念頭に、自身の師匠の一途さを振り返り、「私が選んだ先生は間違いない」と師弟関係の尊さを語った。

 下町育ちの師匠は「担いだみこしを下ろさないのが江戸っ子の心意気。どんどん人が人を信用しなくなる時代に日本を憂う亀井先生みたいな国士がいなくなり、政治家がどんどん小さくなっている。風をまともに受けて『よし、勝負してやろう』とまさにプロレスのように返していく気概のある政治家を、われわれは創っていかなければ」と促した。

 亀井氏は外国ファンドをもうからせるだけの安倍政権の経済政策やマスコミ報道への干渉、安全保障政策の変更を批判。「しかし、身近なこと、目の前のことを放っておいて天下国家はない。区政という一番の現場で、どうしたら心の触れ合いが戻るのか。やり方を見つけられるよう、彼を鍛えて欲しい」と西村氏を指差した。

 西村氏の人間性について「彼ほど愚直で真面目な人間はいない。文京区だけでなく、日本を背負っていける人間に育っていくだろうし、いってもらわなければ困る」と亀井氏。前日国会議員50人で「地域活性化協議会」(通称・根っこの会)を立ち上げたことに触れ、「今の状況を突破するために、彼は重要な戦力」と期待を寄せた。

 西村氏はプロレスラーを目指したきっかけと、選手となって5年後にがんが見つかったいきさつを明かす。「27歳の時、プロレスを取るか、命を取るかの究極の選択を迫られた。子供のときからの夢だったプロレスを諦めきれず、いかなる化学療法も放射線治療も抗がん剤療法も拒否した」。

 西村氏は最低限の摘出手術を受けた後、治癒の方法を探しに東南アジアやインド、イタリアなど世界中を回る。その結果、見つけた共通点が、その土地で、その季節に採れる素材を使った伝統食を取ることだったという。

 「日本の食生活は外地で採れた物に侵され、ぐちゃぐちゃになっている。その発端は戦後、GHQが行った小麦政策。自国の余剰小麦を売り付け、学校の子供たちの味覚を変えてしまえとやった。日本は何百年、何千年もビーフステーキと牛乳で育った文化ではない。宮本武蔵も真田幸村も豊臣秀吉も徳川家康も穀物を中心に季節の野菜、たまに捕れる魚介類、発酵食品を食べてきた。それであそこまで頭脳明晰(めいせき)で粘り強く、我慢強かった。キレやすい、アレルギーの子供たちはこんなにいなかった」と指摘した。

 国家財政の破綻が心配される中、医療費が40兆円を超える勢いであることに言及。「文京区の来年度予算817億円のうち、110億円が医療費。本来なら健康な人が増えるはずだが、医療費が増大するほど不健康な人、病人が増えている」と提起。予防医学として、パンと肉の排除を主張してきた理由を説明した。

 その上で西村氏は、「食育強化の主張で多くの食肉業者、乳牛業界、製薬業界、医療業界、ファストフード、コンビニエンスストアから敵視された。どの政党を選ぶかの段になったとき、しがらみのない小政党、愚直なまでに真っ直ぐな国民新党を選び、亀井先生と出会った」と回想した。

 2010年に同党公認、新党日本推薦で参院選に出馬して敗れた後、文京区議に立候補した経緯について「またはい上がるため、ゼロからの出発だった。信念を変えず、40兆円の医療費を減らし、日本全国の給食を変える。労働組合や大企業、米国をも敵にしなければならず、消されるかもしれない。しかし、まずは文京区で心も体も健康な子供を育て、元気な高齢者を輩出するための進路変更だった」と吐露した。

 次期区議選に立候補予定の西村氏は、「これからも大変な戦いになる。皆さんのご意見・ご要望に耳を傾けながら、死に物狂いでこの町を守っていきたい」と抱負を述べた。