ガン発見~闘病~ガン告白
- ガン発見 自暴自棄の日々を支えた仲間からの激励
- 1998年9月にガン(後腹膜腫瘍)を宣告され、その後約1年間、リングから姿を消す。
自覚症状が出たのは同年6月。シリーズ中に40度以上の高熱を出した。
座薬を打ってもなかなか下がらない熱。かろうじて38度まで下げ、残りの試合に出場した。
その前後、下腹部にしこりができているのに気付いたが、
そのままにして練習と大会出場を繰り返していた。
1カ月ほどして、下腹部のしこりを確かめた。巨大化していた。
やっと診察を受ける決心がついた。
医師の口から「ガン」という言葉が出た。
「炎症程度と思いこみ、心の準備をしていなかった」西村選手は、頭が真っ白になったという。検査結果は、やはりガン。
それから入院までの1週間、心が大きく揺れた。
投げやりな気持ちが膨らみ、連日暴飲暴食に走ったりもした。入院後、手術を待つ西村選手の病室に、プロレスラー仲間から見舞いの花束が続々と届けられた。
自暴自棄になりかけていた心が、穏やかさを取り戻す。
大きな支えとなった。
- 闘病 プロレスをあきらめられない
-
腫瘍を取り除く手術は終わった。
しかし、ガン治療は続く。抗ガン剤、放射線治療…。その副作用は計り知れない。
体が資本のレスラーにとって致命的な状況だった。
プロレスを続けるか、それともあきらめるか…。「しっかりとした食事をとらせ、体を鍛えさせ、マフィア(病気)に立ち向かう人間をつくる、それが東洋医学です」
結果、東洋医学を選択した。
リング復帰という大きな目標を掲げて。
その後、東洋医学の治療法探しの旅に出る。
行き先は世界各国。フロリダ州タンパ、台湾、ウィーン、シチリア島、インド…。
針治療、気孔、ヨガ、漢方薬、食事療法…。「プロレスをそんな簡単にあきらめられない」。
人は、子どものころから見続けた夢をそう易々と捨てられない。
まして、プロレスラーとしての輝かしいライトを浴び続けてきた人間にとってはなおさらである。
再発の危険と背中合わせの日々。熱を出しやすく、精神面が落ちた。
体調がいつ上向きになるかわからない。毎日が試行錯誤。
その中で、〈プロレスラーとして復帰したい〉という揺るぎない信念が西村選手を精神修行へと突き動かした。わずかながらも希望の光をとらえることができるようになってきた 。
- ガン告白 死への恐怖を経て
- 2000年5月、ガンを告白。
自らのガン告白は、大きな話題を呼んだ。
「いつかは人に話そうと思っていた」。
その告白の舞台に選んだのは、インドだった。
「死への恐怖が付きまとう。命は何のためにあるのだろう、
と考える日々だった」
インドのベナレス。そこに生きる人々は、貧しくともたくましい。
反面、死が身近にある地でもあった。小高い公園のような場所が火葬場となっており、亡くなった遺体を焼く光景を目の当たりにすることもあるという。
「インドの文化をこの目で見て、インドでガンを発表しようと決心した」。
カムバック
- 復活 感慨無量、付きまとう不安
- 2000年6月、日本武道館で1年8ヵ月ぶりの復帰戦。
リングに上がり、ライトと歓声を浴びて
「生きて帰ってこれた」と感慨無量に。
しかし、「体が100%ではない状態な上に、
約2年もリングから遠のくと、それだけでハンデになる」
というように、不安との戦いは続いた。